まりかど雑多忘我録

まりかど雑多忘我録

見たり読んだりしたことの感想を、自分の脳を整理するために書いてます。

映画「日本沈没」感想メモ

10月から、小松左京原作「日本沈没」がドラマ放送されるらしい。

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ちょっと前に、1973年に公開された映画「日本沈没」を見たのですが、今回のドラマはかなりアレンジが入るらしい。

 

以下、映画「日本沈没」の感想メモです。

以下ネタバレになります。

 

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タイトル以外何も知らない状態で見始めたのだが、「日本人が難民になる」未来が衝撃的だった。

難民というと、内紛とか戦争とか、そういう原因が自分の頭の中にあって。外国に逃れて、あるいはたまたま外国にいたときにそういうことになって日本に帰れない、みたいな。
 
日本国内で内紛?
日本人が難民となるくらいの戦争(他国が他国と日本国内を舞台に戦闘する)?
そんなことある?
 
…なんて思っていて、自分が難民になることなんて考えてもいなかったんだなとわかった。そういう驕りが自分の中にあったんだなとわかった。

でも、原因がプレートの大移動や地殻変動なら、本当にあるかもしれないじゃん。
国土がなくなるってことも、あるかもしれないじゃん。
1億人を受け入れてくれる国なんてあるわけないじゃん。

諸外国が日本沈没を淡々と受け止めてるのも衝撃的だった。リアルな反応なんだろうけど。世界地図見て『もう日本消しましょうか』っていうの酷くないか。言いそうだけど。

まあ、そういうわけで、難民になる覚悟を常日頃からしておく…ようなことはないだろうけど、あるとき突然国際紛争の当事者側に立つこともあるかもしれないんだと思った。
 
 
 
 

朝ドラ「おかえりモネ」の残念な部分

2021年度上期の朝ドラ「おかえりモネ」。

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現代の東京ー気仙沼登米を舞台とした、自分探しの物語です。

主人公の一生という長いスパンの物語が多い朝ドラですが、2014年から物語はスタートするので、主人公モネの6~7年を半年で描くことになります。その分、今作は繊細な人の心の動きやこまやかな演技で、かなり濃厚な時間がつづられています。説明セリフや登場人物のモノローグも少なく、その辺りも従来の朝ドラとは異なるところ。

モネは東日本大震災の被災地・気仙沼市出身ですが、震災当日は仙台にいたため、実家のある亀島を襲った大津波を見ていません。震災の当事者ではなかったこと。それがモネの罪悪感、疎外感、無力感となり、モネを苦しめます。

高校卒業後は登米市森林組合で働きます。山林の仕事を通じて「気象」に興味を持ち始め、やがて気象予報士になろうとチャレンジを始めます。

森林組合の職場で知り合った派遣医師の菅波先生、気象の仕事を教えてくれた気象予報士の浅岡キャスター、森の大切さを教えてくれた居候先のサヤカさん、一緒に仕事をしてゆくウェザーエキスパート社の気象予報士たち。いろんな人々とかかわりながら成長してゆくモネ。

 

どの登場人物たちも性根の気持ちいい人ばかりで、意見の違いから衝突することもありますが、見ていてとても気持ちがいい。

 

・・・のですが、この物語の肝の部分は、モネの家族とモネを含む5人の幼馴染、モネと恋人になってゆく菅波先生との関係です。この部分の描写がとてもいいんです。

 

逆に、NHKの朝ドラHPでも紹介されている「気象予報士」というお仕事関係の描写に関しては描かれてないに等しいです。
いや、描かれていないのはそれだけでなく、気仙沼登米という土地の社会についてもほとんど描かれていません。

 

そこが残念なんだなー!!
心理描写が丹念に描かれているだけに!

 

気象予報士の合格率は5%。難関です。
そもそもが気象に関してド素人だったモネ。菅波先生に勉強を教わりながら2年で合格しますが、菅波先生だって頭がいいとはいえお医者さんであり、気象は専門外です。昼間別の仕事をしながらの勉強で、そんなにうまくいくのかな?


また、気象予報士になったあと、時間を置くことなく上京し、浅岡キャスターと面識があったことから気象予報会社のウェザーエキスパート社にバイト採用され、朝のニュース番組のお天気コーナーのサポートをまかされ、お天気キャスターとなり…と、トントン拍子。

この時期の放送で描写に重きをおかれたのは、モネと菅波先生との関係や、気仙沼に残って仕事をする妹・未知、幼馴染であるりょーちんとの関係。仕事絡みの描写は「気仙沼の天気予測をしてゆくうちに、地元の人々を災害から守りたいと強く思うようになる」のみです。仕事絡みのトラブルや困難がなかったわけではないのですが、それでモネが深く悩むわけでもなく、わりとさくっと問題解決。

 

そしてモネは、気仙沼に戻って、自分の気象予報の知識や経験を人々の役に立てたいと奮闘してゆきます。

もちろん、戻ってきたモネに「なんで戻ってきたの?」と、地元で生活していた人たちは疑問を投げかけるわけですが。これに関するアンサーはこれから描かれるのかもしれません。

 

にしても、戻るのが簡単じゃありません??
ただ戻るのであれば気仙沼の求人情報を探せばいいので、それならそれでいいのですが、モネの希望は「気象の仕事」です。そうそうあるわけありません(民間気象会社のある都市部でさえ、気象会社への就職は難関ですから)。でもモネは、ウェザーエキスパート社の支店設立という事象でこの問題をクリアします。
描き方が簡単じゃありません??

 

気象予報士として働くということ、また、地元への希望する職種でのUターンというのは、どちらもハードルの高い選択肢です。
モネのように簡単ならば誰も苦労しません。

 

また、モネが地元に戻る決意の一端を担ったのが、幼馴染たちが大学卒業後こぞって地元に戻ってきたことだと思います(女の子の幼馴染であるすーちゃんは、東京で働き続けることを説明セリフのように主張していましたが、それは、地元に帰らない引け目を断ち切るように、あえてすーちゃんが強く主張したんだと思います)。もし、みんなが地元にいなかったとしても、モネは地元で働きたいと思ったでしょうか。

被災地では、震災後の人口流出が大きな問題となっており、モネのように大勢幼馴染が地元にいるという状況は、逆に夢のような描写なのではないでしょうか?
地元にいる幼馴染は、家業を継ぐ、あるは公務員という、地方では王道のターンです。勝ち組とも言えます。地方が悩んでいるのは、それ以外の働き口の確保です。

 

つまり、「おかえりモネ」でモネが葛藤する問題は、あくまでモネの「心のうちの問題」であり、モネとモネが生きている社会との間の摩擦は大きくカットされているのです。

 

モネの困難は常にモネの内側からやってきて、モネが生きている社会は常にモネに優しいのです。

 

モネはいつも「役に立ちたい」と思っています。その思いがモネを気仙沼に戻したのですが、それはりょーちんがいうように「きれいごと」ではないのでしょうか。
気象予報士を取り巻く困難、地元で働く困難、被災地が抱える困難を見事にカットして「役に立ちたい」と言い続けるのは、気象予報にかかわる人達、地元で働く人達をモネの成長の踏み台として利用しているように、私には見えるのです。これは、気仙沼編で登場したボランティアの女子大生も同じです。困難の中にいる人たちは、だれかの自己満足や自己表現のために存在するのではありません。

 

役に立ちたいのなら、介護や福祉という、慢性的な人手不足で困っている業界で働くのでもいいはずです。ではなぜ気象予報士という仕事をこの物語は選んだのか。あらすじありきで気象予報士という仕事を選んだとしか思えないくらい、この仕事に関する描写が少ないんですよね…。あらすじありき、つまり、モネが島を出て別の仕事をする→別の環境から地元を見ることで島への純粋な気持ちを思い出す→島に戻って大団円、という話の筋。それを描くのに、気象予報士という職業は都合がいい。

 

気象予報士を目指す女の子」という部分を作品のPRとして用いるなら、もっと気象予報士としての仕事とモネの関わりを作品内で表現してほしい。被災地を物語の舞台とするなら、社会としての被災地とモネのかかわりを作品内で表現してほしい。これでは、気象予報士という仕事も被災地という舞台も、モネがコンプレックスを克服するための装置でしかありません。

 

「役に立ちたい」んじゃない。「私のやりたい仕事をやりたい、その上でそれを役立たせたい」なんですよ、真実は。それを無自覚に「役に立ちたい」と言い続けるのは、見ていてモヤモヤします。

 

モネが「大切な人たちの役に立ちたい」というのは勝手ですが、たぶん、モネの「大切な人たち」はモネに「役に立ってほしい」とは思っていないはずです。モネが元気に過ごしていればそれでいいのです。
「役に立つ仕事」は確かに大事ですが、「役に立つ命」はありません。命に「役に立つ、立たない」はありませんから。ここがごっちゃに聞こえるのも、この物語のきついところ。

 

こういう、主人公を取り巻く社会の困難をカットしたのは意図的なものなのか。
例えば、朝から社会問題を描くのは重い、社会派ドラマじゃないんだから、というような理由なのか。被災地の社会問題として描くのは主語が大きくなりすぎるから、モネやモネの周囲の人の個人の物語という小さな主語になるようにわざと落とし込んだのか。

 

最終回まで数週間しかありませんが、私が上述したことなど天下の朝ドラは織り込み済みで、これからアンサーが描かれてゆくのかどうか。

 

物語の最初のころ、サヤカさんがモネに「役に立とうと思わなくていい」というようなことを言っていたので、今後モネの「役に立ちたい」という願望は別のところに着地するのかもしれません。

 

完結まであと少し。
モヤモヤするけど、少し我慢して、ラストまで見ていこうと思います。

 

 

まともじゃないのは君も一緒 感想

外出中に空き時間ができてしまって、じゃあ何か映画でも見て待とうかな…と選んでみたのが「まともじゃないのは君も一緒」。

matokimi.jp

深く考えもせず観始めましたが、これがとてもおもしろかったのです!

 

成田凌さん演じる「数学一筋<コミュニケーション能力ゼロ>の予備校講師・大野」と、清原果耶さん演じる「知識ばかりで<恋愛経験ゼロ>の教え子女子高生・香住」の、「普通」をめぐる冒険物語。
そう、これは冒険。冒険の物語だと思う。

 

以下、ネタバレを含む感想です。

 

 

ルックスがいい大野先生はそれなりにモテるのですが、いかんせん会話がかみあわず、いつもなんとなく相手の方から離れていってしまいます。
「そんなんじゃ”普通の結婚”なんてできないよ」と教え子の香住に言われ、”普通”を目指して香住のアドバイスをあおぐことになります。
が、アドバイスする香住もそもそも恋愛上級者というわけでもなく、憧れの青年実業家宮本氏に婚約者がいることを知り、傷心のさなかに軽口で言ったアドバイスを大野先生に真に受けられただけなのでした。

香住が思いついたのは、大野先生を婚約者の美奈子にぶつけ、宮本氏と別れさせてしまおうという作戦でした。いかにも高校生らしいチープな作戦なんですが、この作戦がなんと、うまく回りだしてしまいます…。

 

本作は「ラブコメ」と謳っているのですが、全編を通した一本のテーマは「普通って?」です。

 

「普通じゃない」と言われるけれど、何がどう普通じゃないのかわからない。友達は離れてゆく、恋人もできない、それでもいいと思っていた大野先生が、美奈子とのつきあいの中で変わってゆく。
「普通じゃない」と言いながら、同級生との会話に違和感を感じながらもその輪から離れることもできなかった香住が、大野先生に影響を受けて変わってゆく。

 

大野先生は確かに、いわゆる「普通」の、軽快なノリの会話ができないかもしれない。でも、年の離れた香住の言うことを、バカにすることなく真摯に向き合い、まっすぐに行動している。誰よりも深く、人の在りようを見ている。
それは「自分を大多数に寄せて生きる」ことよりずっと大切なことなんですよね。
そして、そんな大野先生に本質を理解されている香住は、幸せ者だと思うんです。


終盤の、大野先生が香住のために怒るシーンからラストまで、派手な演出や見得切りではなく、言葉や演技で見せる切なさはジーンときましたね…。

大野先生と香住の、かみあってないのに心地いいテンポの会話がおもしろくて、大野先生の笑い方にはつい吹いてしまいました。
あの笑い方を演技でできる成田凌さんすごい(笑) 
お皿選びのシーンの笑い、あれは俳優さん達の素なのではないでしょうかね…(笑) 

 

出演シーンは少なかったのですが、ヒエラルキーの頂点に君臨する高校生カップルの二人もよかったですねー(*´ω`) 遠巻きに見る彼らと、懐に入って見る彼らの違い!

 

みんなありのままで、幸せに暮らしてほしいな。

 

とってもいい映画でした。おすすめです。
興味を持たれた方はぜひどうぞ!

 

 

仮面ライダーゼロワン 最終回を見終えての感想

令和最初の仮面ライダーとして放送された『仮面ライダーゼロワン』。
先日8/30に最終回を迎えました。

 

仮面ライダーゼロワン Blu-ray COLLECTION 1

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  • 発売日: 2020/04/08
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人間とAIとの関わりを軸にストーリーは展開し、後半は人の性とも言える悪意を盛り込んだ内容となりました。

 

コロナ禍で撮影が中断され、5、6月の6話分が総集編の放送となったため、ラストまでの3か月分がもったいないくらいのスピードで進んだのが残念なところです。1年の放送は長いとはいえ、カットせざるを得なかった6話分というのはものすごく貴重な時間なんだなと改めて思いました。中断後の展開がおもしろかっただけに、もっとじっくり描かれたものが見たかったなー。まあ、こんな状況なので仕方ないですね。

 

いつ撮影が中断されるかわからない中で、変わらないクオリティで作品を提供してくださったキャスト、スタッフの皆さんには感謝、感謝です。

 

さて、ゼロワンの最終回まで見終えての感想です。

 

AIは人間の言動を学習します。その中には「悪意」も含まれている。
主人公の或人でさえ例外ではなかった、というのがとても良かったなーと思います。
また、ラストが「悪は滅びた」ではないところも良かったですね。人の悪意は滅びないので。ただ、まだ原作連載中のアニメが原作の終了を待たずに終わる場合の「俺たちの戦いはまだまだ続く!」と印象が重なってしまうのがちょっと悲しい。

 

ゼロワンがテーマとして掲げている「人間とAI」はものすごく壮大で、ゼロワンはその中から「仕事」について特化して展開されている。それが、ラストの或人とイズのシーンでまとめられているのだと思う。
そう考えないと、或人が新しい秘書ヒューマギアにイズの名をつけ、ラーニングさせる行動にちょっと違和感を感じてしまう。実際のところ、このシーンを見てモヤモヤしました。

 

私は、公式の見解以上のものはないと思っているので、ちょっと考えたい。

 

天津社長(いや課長か)のさうざーは、ラストで何匹もいたけど違和感なくて、むしろ仲間が増えてる!って好意的な見方をしてた。ではなぜ、イズが何人もいると違和感があるのか。

 

人とロボットの違いは再生産できるかどうか。
イズを壊された或人が闇落ちするほど、或人にとってイズは大切な存在。だからこそ、外見が同じでも、イズの代わりにはどのヒューマギアにもなれない。そう思っていた。
でも、或人はそうじゃなかった。
今までの、マギア化して破壊されたヒューマギア(マモルとか)と同じように、破壊される前の名前をつけた。
或人にとって、ヒューマギアと人間は仕事を介したパートナーであるということを示しているんだと思うんです。
それを私が納得できたかどうかは別として。

 

今までゼロワンは、お仕事5番勝負のときが顕著だったけど、人間の悪意が見える形を描いてきたわけですよ。
人類の方が悪じゃん…と思えるような。
人間に酷いことされて、悪意をラーニングして。

 

そこで、視点が二つあって、
(1)ヒューマギアかわいそうじゃん! …主観てのと、
(2)悪意をラーニングしてしまったのなら、どうすればその悪意が消えるか考える …客観てのと。

 

最終回での、或人の滅に対する行動が(2)だったと思うんですよ。
ヒューマギアを、ヒューマギアの作り手として一段上の立場から見てる。

 

だから、ラストのNEWイズに対する行動も、作り手、開発者としての行動だったんじゃないかと。

 

ただ、ゼロワンを見てる側からすると、(1)の見方をしてしまうと思うんです。
なぜなら、人間と同じ姿をしていて、人間と同じ心を持つ存在になりうるから。
人間とヒューマギアは対等だと作中で叫んでいたから。

 

もし、「シンギュラリティ」という概念がなかったら(2)として見てられるかもしれないけど、心を持ったヒューマギアをそうは見られないよね。
だから、NEWイズをラーニングさせる様子を見て、「或人はNEWイズを前のイズの代わりと思ってるんじゃないか」、「NEWイズがいつかシンギュラリティに達して、自分が前のイズの代用品であると思ってしまったらかわいそうだ」と思ってしまう。

 

この部分は、もしかしたら人間とAIの距離を守るためにこういうラストにしたのかなーという、制作側のコントロールを感じたんですよね。

 

AIを取り扱う上で、生命との違いをどうするかというのは最大の問題だと思うんですよ。人間型のAIロボットは、それがいいことか悪いことかは別として、必ず将来登場する。人形やぬいぐるみでさえ命を感じるのに、手放すときにお祓いするケースもあるのに、人と似た顔をした人と同じ言葉を話す存在に対して、命を感じないわけがない。でも、AIは人間ではない。そっくりだけど、人間ではない。
命を感じる無機質なものをどう扱うか。

 

ゼロワンのラストは、「悪は滅びた」じゃないんですよ。
アズは暗躍しているし、AIMSはまだ存在する。
ヒューマギアは今後も暴走の可能性がある、そういう世界。
暴走したときに、命を感じるAIにどう対処してゆくか。
そういう世界で、「イズは唯一無二のイズ」のように人間と同じ対応をしてしまうと、ものすごい厳しいと思うんですよ。人を殺すのと同じになってしまう。
だからあえて、イズとNEWイズで「人間とは違う」を持ってきたのかなーと。

 

 

まあ…「代えのある道具でも、なくなったから新しいものを即手に入れるってのは違うんだよ」っていうメッセージを子どもに向けても良かったとは思うんだけど…。やっぱり、モヤモヤが生まれないために或人がなぜ新しい秘書ヒューマギアにイズと同じ外見を求めたのか、なぜイズの名前をつけたのか、それだけでも説明が欲しかったな。秘書型にはイズタイプとシエスタタイプのどちらかしかない…とかさ。

 

そう思うと、人間型のロボットなんて作っちゃいけないよ、と思うんだけど、
きっと作っちゃうんだろうな。倫理は人の好奇心を止められない。

 

ただ、ゼロワンのラストがここで終わるとは限らない。大人の事情的に言うと、映画が控えている以上、「イズ」というヒューマギアを不在にするわけにはいかない…という理由が先行してるのかもしれない。

 

ゼロワンの脚本を担当した高橋悠也さんはエグゼイドの脚本も担当されていて、Vシネ、小説版を執筆されているので、もしゼロワンも同じようにVシネ、小説…と続くなら、このままではないようにも思います。エグゼイドのラストであたかも許されたような檀黎斗が、それ以降本領を発揮しますからね。ゼロワンラストでの、NEWイズを「イズ」と名付けて以前のイズと同じようなラーニングを行う或人の選択も、今後ストーリーのキーとして変わってゆくのかもしれません。

 

取り急ぎ、ゼロワンの最終話感想でした。

 

 

 

 

小説キャンディ・キャンディFINALSTORY  感想

『小説キャンディ・キャンディ FINAL STORY』

 

70年代に大ヒットしたマンガ『キャンディ・キャンディ』の原作を担当した水木杏子さんが書いた、マンガの後日譚を含む小説です。
(本小説の名義は名木田恵子さんとなっています)

 

原作は私も大好きで、コミックも持っています。久しぶりに読みたくなりました。でも、例の裁判の件で、コミックは絶版なんだそうで…。

以下、ネタバレを含んだ感想です。

 

 

 

小説キャンディ・キャンディ FINALSTORY (上)

小説キャンディ・キャンディ FINALSTORY (上)

 

 

小説版の流れはコミックス第4巻の内容まではほぼコミックス版通りです。コミックス終了から数年後くらいのキャンディが、キャンディ自身や登場人物たちの現在の状況を語りつつ、過去を振り返る…という手法で書かれています。


が、コミックス第5巻以降の展開は、小説版では書簡形式で書かれています。

これがね~、残念でした!
私、コミックス第5巻からの展開の方がスキなんですよね。小説版は5巻以降の展開はかなり大急ぎで進行します。5巻以降の話ってまとめられちゃうくらい薄いお話だったですかね…。まあ、新しい登場人物は5巻以降は少ないので、登場人物たちの個性を掘り下げるために4巻までの内容を濃く取り上げたのかもしれませんが…。

 

コミックス5巻から、キャンディを取り巻く環境にリアリティが出てくるんですよ。


コミックスを読んでいたのは私が小学生の頃ですが、第4巻までは、どこか遠い場所、レイクウッドとか聖ポール学院といった、夢のような世界にいる少女のお話…という認識だったんですよね。
でも、5巻から、キャンディは自分の人生を自分の足で切り開いてゆくようになり、看護師になるための過程や第1次世界大戦との関わりなど、現実にいそうなキャラクターとして立ち上がってくるんです。

 

また、スキな男性と結ばれないエンド、というのも、小学生ながらに切なくて、将来キャンディはアルバートさんと結婚してほしい…と願ったものでした。

 

小説版後半は書簡形式で話が進むため、話の過程でキャンディや登場人物たちの心がどう揺れたかというより結果に重きが置かれるので、「ああ、あの後そうなったんだ」と納得するしかないような感じでした。ジョルジュとキャンディの関係の掘り下げなどは良かったですね。

 

コミックスには描かれない登場人物たちのその後はこんな感じです。

 

・アニーとアーチーは結婚する。ただし、アーチーはかなりキャンディを引きずっており、アニーは根気よく待ったな…という感じ。

・パティは教職を目指す。

・フラニーは無事戦場から戻り、表彰される。

・ニールは実業家としてラガン家の跡を継いで、結婚騒ぎの後、キャンディと一定の距離を置いている。キャンディもラガン家の人たちを遠い目で見守っている感じ。

・ポニーの家はポニー先生の体の具合が悪くなったりしつつも、今もあのまま。アルバートさんの支援があったりもする。

・スザナはテリィと暮らすも結婚はせず、若くして亡くなる。

・キャンディはロンドンで誰かと暮らしている。ポニーの家が気になるけど、「誰か」が寂しがるから離れられない。

 

 

さて、今回小説版を読んで、印象が変わった人物がいました。

 

テリィです。

 

たぶん、連載当時テリィの人気は断トツだったと思うんですけど、申し訳ない、まったく魅力を感じませんでした…。

 

これは小説のせいではなく、コミックスを私が読み返したとしても同じだったと思います。大人になった今読むと、価値観の変化などもあり、テリィちょっとひどくない??という印象…。

 

一番受け入れられなかったのは、テリィがキャンディをたたくシーン。

 

メイフェスティバルでキャンディにキスするシーン、キャンディはびっくりしてテリィの頬を叩くんですが、テリィはキャンディを叩き返すんですよね。他にも、別のシーンで1回、テリィはキャンディを叩いています。

 

ニールがキャンディを叩くのはいいんですよ(よくないけど)。ニールはそういう、キャンディの意志を無視してキャンディに嫌なことする役ですから。

でも、テリィがキャンディを叩くのは、果たしてストーリー展開的に必要なシーンだったかどうか…。テリィのキャラクターを色づけるために必要なシーンだったかどうか…。

 

テリィがキャンディにキスしたのは、キャンディを愛しいと思ったからじゃなくて、アンソニーへの対抗心がきっかけだと思うんですよ。キャンディを叩いたのは、叩くことでキャンディに何かしら働きかけようとしたのではなく、キャンディに叩かれたから、やられたからやり返したという状況です。


テリィが叩くシーン、必要だった?この暴力シーンはテリィの何を表現したかったんだろうか。キャンディをアンソニーから奪いたいというテリィの苛立ちを表現したいなら、暴力ではなくて、別の表現方法はなかったんだろうか。
今読むと、テリィはとても幼いんだなとわかります。でも、体がキャンディより大きいし、青年っぽい外見なので、テリィのキャンディへの暴力は、読んでてキッツいんですよ…。

 

自分が読んでいたのは小学生のときで、男女で叩きあいのケンカなどもある時期だったので、今ほどの違和感を感じてなかったし、女性への暴力が今より頻繁にあった時代ではあるので、現在の価値観で言及するのはよくないのかもしれませんが、この点だけは「ああ…」って感じで、『キャンディ・キャンディ』は名作です!と言うには躊躇するというか…。

 

キャンディはどうしてテリィがスキなんでしょうね…。
アルバートさんの方が大人だし優しいし初恋の人だし、いいと思うんだけどな…。

 

 

というわけで、アルバートさんを推しつつ、感想を終わります。

 

 

 

 

 

 

夏の庭 感想

『夏の庭』


夏の終わりの今、読むにふさわしい本ですね。
以下、ネタバレを含んだ感想です。

 

 

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

 

 

これは、小学校六年生の三人の少年たちが、一人暮らしの老人の「死ぬ姿を見よう」と観察を始めるところから始まる、ひと夏の物語です。

 

10歳を過ぎると、世界は軋み始めます。
いや、軋んでいることに気づきだすのです。

 

三人の少年たちも、来年の中学入学を控えて、自分の家族や友だちを取り巻く音が軋んでいることに多少のいらだちを感じています。

 

両親が不仲な木山。
母が父の仕事を見下している山下。
離婚した父が別の家庭を持っている河辺。

 

山下が縁遠い祖母のお葬式に出席したことで『死』に興味を持ち始めた彼らは、近所のごみ屋敷に住む老人に目をつけます。
老人が死ぬ場面に遭遇したい。そう思って老人の観察を始めますが、その行為は老人の知るところとなり、お互い牽制しあっていた関係がいつしか、年齢を超えた友達になってゆきます。

 

ゴミだらけで雑草だらけの廃屋に住む老人の生活は、少年たちが「死にそうだ」と判断するくらい、すさんでいました。始めは少年たちのことを、家の前をちょろちょろして何かいたずらをたくらんでる悪ガキ、程度に思っていたでしょう。
少年たちも、老人の挑発に乗るような形で関わり始めましたが、やがて、老人の家はみちがえるように整理整頓され、少年たちにとって、家庭や学校以外の、第三の居場所になってゆきます。

 

少年たちが老人にした行いは、たいしたことではありません。
少年たちは社会的にも無力で、知識もありません。
老人の日々の生活の手伝いをすること。
掃除したり、ごみ出しをしたり、家の修理をしたり、庭の雑草を抜いたり。

 

庭を花畑にしようと、コスモスのタネを大量に買ってきたり。
老人の過去を聞いて、老人の妻を探そうとしたり。
老人の妻が認知症で、老人に会わせることができなさそうだとわかると、似た人を連れてきて妻だと偽らせたり。

 

子どもの考えることなので、計画はおおざっぱで穴だらけです。

でも、老人の周りの大人たちが決してやろうとしなかったことを、子どもたちは今できる限りの知恵をしぼって行動し、老人と向き合いました。
それがどれだけ、老人にとって嬉しいことだったか。

 

忘れられたように生きる老人に、彼らは生の輝きを思い出させました。
彼らが、老人とは何の縁もゆかりもないからこそ、老人の心にふっと入ってゆくことができたのだと思います。人は第三者に救われることがあるのです。

 

彼らにとって『死』は一番遠くにある現実で、冷たいものでした。
体温のない、見知らぬ死。

彼らが見たがっていた死は、でも、そんな死ではありませんでした。
よく見知った姿の、温かい体温が存在する死でした。

 

命の尽きた老人の前にあるのは、彼らのために準備したぶどうでした。
人がやってくるのを待つ、楽しい気持ちを抱いたまま、旅立った老人。
一人でしたが、一人ではありませんでした。
そして、老人は、自分の死後、つまり「未来」を得ていました。
自分が捨てた妻に財産をゆずるという「未来」を。

少年たちは、もう老人の家に集まることはありません。
季節はとどまることなく、少年たちを否応なしに大人にしてゆくでしょう。


でも、心の底にある小さな思い出は、きっと彼らの「基」となって、軋んだ世界から彼らをずっと守ってゆくのだと思います。

 

 

 

青のフラッグ感想 その3 トーマの感情

青のフラッグ感想3回目です。
 

まあ…感想と言っていいのかわからないような文章ですが…。自分の真っ暗な空間の中にあるひとつひとつの感覚を拾って文章を書いております…。

 

1回目、2回目はこちら↓

青のフラッグ感想 その1 二葉の選択 - まりかど雑多忘我録

青のフラッグ感想 その2 太一の価値観 - まりかど雑多忘我録

 

今回は大好きなトーマについて考えたいと思います。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

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私は「青のフラッグ」、連載が始まったときからジャンプラでリアタイで読んでたんですけど、もう毎回毎回トーマが切なくてですね…。血反吐を吐く思いでした。

 

それだけに、ラストはもう涙、涙…。
トーマ良かったね!トーマの気持ちが報われて本当に良かった…
そうなってほしかったけど、そうなると思わなかったからもう太一胴上げしたい。

 

本編中で、はっきりとトーマのモノローグとわかる箇所は、トーマが自身の過去をふりかえる話しかないので、トーマが心の中で何を思っているのかはほとんどわからないんですよね。

 

トーマをわかろうとしたら、会話の中とか、表情からうかがうしかない。

 

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最終回を迎えてから、もう一度1巻から読むと、作中のモノローグは全てトーマのもののだったんじゃないかと思えてくるんですよ…。二周目はもう、トーマが太一を追っているのがはっきりわかって、さらにしんどくなりました…。
この一連の感想をまとめるのに何周もしてるんですけど、ラスト知ってて良かった…ラストがわかってるから読めるな…。

 

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何度か読んで思うんですが、トーマは天然のタラシです。
さらっと心にズキュンなこと言うんですよねー、さわやかに!
そして、本人は結構言ったことを覚えてないという…。
モテるはずだよ、トーマ…。


たぶん、トーマには、タイちゃんと他の人、という区分しかないように思える…。
全員に対してフラットだから、女子も男子も魅かれるんじゃないかなー。
逆に言うと、トーマはタイちゃん以外興味ないのかもしれない(笑)

 

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トーマは相手に対して期待してないんですよね。
身も蓋もない言い方ですが、他人に対して「アレをやってほしい」「こうしてくれるといいのにな」っていうのがないんだと思うんです。
だから、ほぼ相手を受け入れる。だから、他の人はトーマといて楽しいんだと思うんです。マミちゃんがトーマをスキになったのも、この受け入れ姿勢に男女の差がなかったからなんじゃないでしょうか。

 

明るくて人望もあって、いつも隣に誰かいるトーマが、実際のところ、内に抱えてためこんでいる、ということに気づいているのがタイちゃんなのがねー…。
あ、シンゴも何か見えてそうではあったね。シンゴはなんとなく、わかっていたのかもしれない。

 

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トーマの感情の根底にいる人が二人いて、一人は誠也兄、もう一人は太一。

 

トーマはお兄ちゃんがスキなんですよね。
弁護士になる夢を応援している。

 

でも、両親が亡くなって、大好きな誠也兄の役に立ちたいと思っても、トーマは何もできなかった。
トーマのその気持ちは、「ごめんなさい」という言葉とセットだった。
お前はできないから何もしなくていいと言われ、誠也兄を助けてあげられるのは、自分じゃなくてアキさんだった。

 

直接的な原因は触れられてないけど、誠也兄が弁護士をあきらめたのは、自分のためだとトーマは思ってるんじゃないかな。
トーマが野球の強豪校に行かずに地元の高校を選んだのは、そういう負い目があったからなのかもしれない。
誠也兄の六法の本をトーマがずっと持っているのは、考えすぎかもしれないけど、自分への枷のつもりなのかな…。

 

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トーマの気持ちが爆発したのが家出のとき。
トーマにとって誠也兄は兄であって親ではない、とか、誠也兄はトーマよりアキさんを選んだ、とか、両親を亡くした喪失感が、このとき改めてトーマの胸に迫ったんじゃないかと思うんですよ。

 

そんなときに、太一は誠也兄を倒して、一緒に逃げ出してくれた。
ずっと手をつないでいてくれた。
そのときから、ずっとトーマは太一が大好きなんだよね…。
それは、友達としての感情以外に恋のような感情はもちろん、家族の情愛も含めてなんだろうなと思うんです。

 

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トーマは太一より早熟で、「手をつなぐのは女子みたい」と男女の性差を感じています。トーマからしてみると「手をつなぐのは女子みたいで恥ずかしい」という意識だったと思うんです。
だとすると、太一と手をつないで誠也兄から逃げたときに感じた感情を、その後も太一が手をずっと握りしめていてくれたことで、トーマは太一に肯定されたように思ったんじゃないですかね…。

 

でも、トーマの苦しみもここから始まって、トーマにとって太一が親友だったから、自分のセクシャリティも含めた恋愛の相談を太一にできなかった。
一番相談したい人が、一番相談できない人になってしまった。
本当のことを打ち明けるときに「ごめん」と言うしかない。
自分が太一のそばにいると、太一を傷つける。

 

 

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トーマは、自分の存在が、大事な人たちの重荷になってると思っているんですよね。
自分には何もできない、なりたい自分もないというのは、大事な人たちへの無力感からきている。トーマ…_:(´ཀ`」∠):_ 

 

トーマの「相手への許容」が、自分に期待するものが何もないから他人にもない、というところから来ているのだとしたら、しんどいな…(涙)
トーマ、中学生くらいですよ…。

 

トーマは脊髄反射的な思考をする人だと私は思ってて、言ったことを覚えてないのはそういうことだと思ったから。
そのトーマが、スキになった理由を考える対象が、野球と太一だった。
考えなきゃいけなかった。誰かへの言い訳のために。
自分があきらめるために。
誰かをスキになるという優しくて嬉しい感情が、謝らなければならないものになっているなんて…

  

タイちゃんへの思いを振り払うために、スキでもない他の人と付き合うというのがないのがトーマの誠実で一途なところだ…。まあ、就職先を遠いところにしたのは、タイちゃんを忘れるためだったんじゃないかと思いますが…。

 

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そういうトーマを変えたのが、二葉なんですよね。

 

トーマは自分じゃない別の誰かになりたかった。
太一の理想の人になりたかった。


「あなたの中の私の形が 
 私の思う理想の姿でありますようにと
 願いながら 
 恐れながら」

 

マミちゃんのモノローグはまんまトーマのモノローグで、太一を傷つけない誰かになりたかった。
思いもしなかったそのことに気づかせてくれたのが二葉だった。

 

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文化祭での一連の流れで、トーマは何度目かの失恋をしてるんですよ。
(何度もひどい…_:(´ཀ`」∠):_ )
太一に問いかけてから笑いかけて立ち去るまでの間、トーマは失恋した。

 

一旦太一の手を見るんですが、太一が緊張してるのに気づくんですよね。
告白して受け入れてくれる、あるいは、告白した自分を許してくれるような感じではない、きっとわかってもらえないと思ったんじゃないでしょうか。
あれは失恋だと思うんですよね…。

 

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トーマはどうしてマミちゃんにカミングアウトしたんでしょうね。

 

「(恋人としてスキになってくれなくても、トーマにその気持ちがないのならしょうがない。なら、男女だけど)友達になれない?(男女で)友達になるのは気持ち悪い?」

 

その問いが、まんまトーマだからだろうと思うんですよ。
いわゆる「普通」の側から見たら気持ち悪いかどうかで悩んでる「こっち側」だから。

 

私は、もし普段のトーマであれば、カミングアウトしなかったんじゃないかと思うんですよね…。
でも、この時点でのトーマは失意の中にいるので、そこに同じこっち側の人から「わかってくれ」と言われたら、答えてしまうと思うんですよね。
なんかいろいろタイミングが悪い…。

 

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最悪な形でのカミングアウトの後の駅での告白も、もうトーマの中では失恋だよね。

 

というか、そもそもトーマの中では失恋以外の未来がない。
二葉と太一がつきあってるのはトーマもわかってることだし、トーマの中では、友達として太一の隣に居続けてもいいという許しをもらう未来しかない。

 

みんなで幸せになる、その「みんな」の中に自分も太一もいる。
そのためには、太一に告白しちゃダメなんですよ。
でも、その未来もなくなってしまった。

 

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「トーマの本当の姿」を、実際誰が見ていたのかというと、二葉とマミちゃんだと思うんですよ。

 

前回の太一の回でも書きましたが、マミちゃんがあの二人はいいなと思うくらい、ケンスケやシンゴたちといるときより、トーマが自然体に見えたんだと思います。


あの入院のときのトーマはいいですよね…。
タイちゃんに対する甘えとか独占欲とか見えて。
太一とアキさんが話していると割って入って、太一にゲーム機の設定直して~っておねだり(?)してるし、太一とシンゴが話してると割って入るように話しかけてるし(笑)スキなんですよねー、この場面。素が見えて。

 

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次にトーマが素を出したのが、二葉とのケンカのシーンです。
このケンカのシーンはいいですね!
こう…もう何もガードがないトーマという感じで、素を二葉にぶつけてるんですよねー。

 

「タイちゃんだって二葉のこと…(云々)…オレの気持ちも知らないでさ」

 

最高オブ最高のシーンですよ。トーマが本当に言いたかったことですよ。

 

「オレの気持ちも知らないでさ」

 

いい台詞だ…。

 

その台詞のあとの「二葉は家族も親友も恋人も持ってて恵まれてるくせに不幸ぶるな」、これも、二葉に言ってますけど、本当はタイちゃんにも言いたいことですよね…。
いや、トーマの周りにいる、たくさんの人にも言いたいのかもしれない。
オレにどんな夢見てんだと。

 

もはや何も持ってないトーマに、二葉は「大事な人たちみんなで幸せになる」という自分の願いをトーマに伝えます。

 

これはトーマが、太一に許してほしかった未来なんですよ。
トーマの告白で一番傷ついたであろう二葉が、トーマと同じ願いを持って、トーマに向き合った。
二葉の感想回でも書きましたが、これがトーマを救ったんだと思うんです。
トーマが前を向いて歩くための大きな救いになったと思います。

 

トーマが学校に来なくなった後に、トーマに会おうと最初に言ったのは二葉だし、二葉…二葉がそう言わなかったら、ラストの二人は存在しないよ…。二葉…(涙)

 

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太一が追いかけてきても、トーマには嬉しいって感情はなかったんだろうと思う。引導を渡されるんだと思ってたと思う。
でも、トーマの、あの日最後まで持ってた小さな願いは太一に受け入れられた。
ふった相手とふられた相手、一緒にいるのはキツイとわかっていながら、その関係を太一もトーマも受け入れた。

 

トーマはどうして受け入れたんだろうね。
どうしたって離れられない太一への思いを、あきらめることをあきらめたんだろうか。

 

「割りに合わねえな」と思いながら、自分が選んだことだからと思いながら、
遠い場所から太一を思ってたのかな。

 

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…とかなんとか、トーマ、太一のそばに戻ってきてんじゃん!ていうね…。
遠距離とか関係ないじゃん。
二葉と太一があれだけ遠距離恋愛を心配してたのに、トーマが逆転満塁サヨナラホームラン打ってんじゃん。

 

この逆転満塁ホームランを打つまでの間、変化したのは太一と二葉の方で、トーマはずっと変わらず、太一のそばにいつづけたんだろうね…。
トーマの一途さよ…(´;ω;`)がんばったね…

 

むしろ、トーマにとっては、太一がトーマを選んだときからがまたツラかったかもしれない。

 

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トーマにとって、太一への感情は「ごめん」が伴うもので、太一が「普通」じゃない選択をしたのは自分のせいだと思ったかもしれない。
トーマは二葉に「スキって言われたんだから、つきあってるんだから自信持てよ」と言ったけど、同じ境遇になって初めて不安に陥ったと思うんです。

 

なんで?どうして?と他人から言われるのは太一なんですよね。
トーマに向けられていた視線が、今度は太一に向けられる。太一の困難の原因は自分だと思ってしまうこともあったんじゃないかなあ。
一緒にいた次の日には、太一は異性に心変わりしてしまうかもしれなくて、自分を選んだことが間違いだったと、その口から言われるかもしれなくて。

 

 「得られた幸福を失いたくないと 次に訪れる選択を 恐れるかもしれない」

 

これはトーマだよね。
トーマは両親を失ってる。
ある日突然目の前から愛してる人がいなくなってしまうことを知ってる。
太一に対しても、一度ふられてるわけです。
太一の気持ちが自分を向いているとわかっていても、ふとした瞬間に恐くなるときがあったと思うんです。

 

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二葉の結婚式に出席したトーマが、芳名帳に書いた姓が「一ノ瀬」でした。

 

 パートナーシップ制度は、戸籍は変わらないんですよね。なので、パートナーシップ制度上での結婚であっても、トーマは正式な書類に「一ノ瀬」とは書けない。

 

結婚式での芳名帳に、正式文書ではないけどおめでたいものに、通称は書かないと思うんですよね…。
太一が欠席だから太一の分も書くとも思えない。招待状の返信で来ないとわかっているなら、あらかじめ太一の席は用意しておかないはず。

 

だからこれは、戸籍上も「一ノ瀬桃真」なんですよ!
トーマは、たぶん、太一の息子として、一ノ瀬の戸籍に入ってるんです(遺産相続を考えると、太一の兄弟として入るとは思えない)。
(まあ、同性婚もできるようになっている未来を描いたのかもしれませんが)

 

戸籍を移動するとなると、同棲するとかパートナーシップ制度の証明をもらうとか、二人でなんとかなる枠を超えて、それぞれの家族の説得もあったと思うけど、たぶん太一の強烈な意志なんだわ。

 

これは太一からのプレゼントなんだと思うんですよ。
家族も恋人も親友も失ったと思っていたトーマに、恋人と親友と、最後に自分という「家族」をプレゼントしたんです。


すごいよ、たいちいいいい!!!
泣くよトーマは…(´;ω;`)
太一、一生懸命考えたんだろうなあ…!

 

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作中で、二葉から見た太一と、トーマから見た太一、二つの視点から描かれた太一がいて。

 

二葉から見た太一、かなり美化されてると思うの…。
これは、二葉が太一を美化しているところがあるからなんじゃないかと思ったんです。恋すると、まあ、キラキラしますよね。
対して、トーマからの視点は、フツーの太一なんですよね。フツーの男の子。
トーマは太一のそのまんまがスキで、小学生の頃から変わらないタイちゃん、なんだなー。

 

トーマが太一と手をつなぐ、
というシーンは、物語において重要なキーになっています。

 

小学生のときにつないだ手を、「女子みたい」という理由でトーマが離し、トーマを救うために太一が手を差し伸べ、時を経て、トーマが太一に、互いをかばいあうような形で手をつなぐことをお願いする。そして、太一が再び手を差し伸べるラスト。

 

もう、スキであることに謝らなくていいんだよ。
自分のスキなときに、スキな人に笑いかけていいんだよ。
自由なんだよ、トーマ。


7年後のトーマの姿は描かれなかったけど、笑顔で、幸せに暮らしてるのはわかる。

 

太一とトーマは、運命の相手なんかじゃなくて、お互いが最善を考えて、お互いを選択した相手なんだよね。
この先にはどんな選択があるのかわからないけど、末永く幸せでいてくれ…。
マドレーヌずっと食べ続けてくれ…。
それだけで私は幸せだ…。

 

その4に続きます。

 

 

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休日の昼下がりに散歩したりキャッチボールしたりする一ノ瀬家のふたり。