まりかど雑多忘我録

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見たり読んだりしたことの感想を、自分の脳を整理するために書いてます。

朝ドラ「おかえりモネ」の残念な部分

2021年度上期の朝ドラ「おかえりモネ」。

www.nhk.or.jp

 

現代の東京ー気仙沼登米を舞台とした、自分探しの物語です。

主人公の一生という長いスパンの物語が多い朝ドラですが、2014年から物語はスタートするので、主人公モネの6~7年を半年で描くことになります。その分、今作は繊細な人の心の動きやこまやかな演技で、かなり濃厚な時間がつづられています。説明セリフや登場人物のモノローグも少なく、その辺りも従来の朝ドラとは異なるところ。

モネは東日本大震災の被災地・気仙沼市出身ですが、震災当日は仙台にいたため、実家のある亀島を襲った大津波を見ていません。震災の当事者ではなかったこと。それがモネの罪悪感、疎外感、無力感となり、モネを苦しめます。

高校卒業後は登米市森林組合で働きます。山林の仕事を通じて「気象」に興味を持ち始め、やがて気象予報士になろうとチャレンジを始めます。

森林組合の職場で知り合った派遣医師の菅波先生、気象の仕事を教えてくれた気象予報士の浅岡キャスター、森の大切さを教えてくれた居候先のサヤカさん、一緒に仕事をしてゆくウェザーエキスパート社の気象予報士たち。いろんな人々とかかわりながら成長してゆくモネ。

 

どの登場人物たちも性根の気持ちいい人ばかりで、意見の違いから衝突することもありますが、見ていてとても気持ちがいい。

 

・・・のですが、この物語の肝の部分は、モネの家族とモネを含む5人の幼馴染、モネと恋人になってゆく菅波先生との関係です。この部分の描写がとてもいいんです。

 

逆に、NHKの朝ドラHPでも紹介されている「気象予報士」というお仕事関係の描写に関しては描かれてないに等しいです。
いや、描かれていないのはそれだけでなく、気仙沼登米という土地の社会についてもほとんど描かれていません。

 

そこが残念なんだなー!!
心理描写が丹念に描かれているだけに!

 

気象予報士の合格率は5%。難関です。
そもそもが気象に関してド素人だったモネ。菅波先生に勉強を教わりながら2年で合格しますが、菅波先生だって頭がいいとはいえお医者さんであり、気象は専門外です。昼間別の仕事をしながらの勉強で、そんなにうまくいくのかな?


また、気象予報士になったあと、時間を置くことなく上京し、浅岡キャスターと面識があったことから気象予報会社のウェザーエキスパート社にバイト採用され、朝のニュース番組のお天気コーナーのサポートをまかされ、お天気キャスターとなり…と、トントン拍子。

この時期の放送で描写に重きをおかれたのは、モネと菅波先生との関係や、気仙沼に残って仕事をする妹・未知、幼馴染であるりょーちんとの関係。仕事絡みの描写は「気仙沼の天気予測をしてゆくうちに、地元の人々を災害から守りたいと強く思うようになる」のみです。仕事絡みのトラブルや困難がなかったわけではないのですが、それでモネが深く悩むわけでもなく、わりとさくっと問題解決。

 

そしてモネは、気仙沼に戻って、自分の気象予報の知識や経験を人々の役に立てたいと奮闘してゆきます。

もちろん、戻ってきたモネに「なんで戻ってきたの?」と、地元で生活していた人たちは疑問を投げかけるわけですが。これに関するアンサーはこれから描かれるのかもしれません。

 

にしても、戻るのが簡単じゃありません??
ただ戻るのであれば気仙沼の求人情報を探せばいいので、それならそれでいいのですが、モネの希望は「気象の仕事」です。そうそうあるわけありません(民間気象会社のある都市部でさえ、気象会社への就職は難関ですから)。でもモネは、ウェザーエキスパート社の支店設立という事象でこの問題をクリアします。
描き方が簡単じゃありません??

 

気象予報士として働くということ、また、地元への希望する職種でのUターンというのは、どちらもハードルの高い選択肢です。
モネのように簡単ならば誰も苦労しません。

 

また、モネが地元に戻る決意の一端を担ったのが、幼馴染たちが大学卒業後こぞって地元に戻ってきたことだと思います(女の子の幼馴染であるすーちゃんは、東京で働き続けることを説明セリフのように主張していましたが、それは、地元に帰らない引け目を断ち切るように、あえてすーちゃんが強く主張したんだと思います)。もし、みんなが地元にいなかったとしても、モネは地元で働きたいと思ったでしょうか。

被災地では、震災後の人口流出が大きな問題となっており、モネのように大勢幼馴染が地元にいるという状況は、逆に夢のような描写なのではないでしょうか?
地元にいる幼馴染は、家業を継ぐ、あるは公務員という、地方では王道のターンです。勝ち組とも言えます。地方が悩んでいるのは、それ以外の働き口の確保です。

 

つまり、「おかえりモネ」でモネが葛藤する問題は、あくまでモネの「心のうちの問題」であり、モネとモネが生きている社会との間の摩擦は大きくカットされているのです。

 

モネの困難は常にモネの内側からやってきて、モネが生きている社会は常にモネに優しいのです。

 

モネはいつも「役に立ちたい」と思っています。その思いがモネを気仙沼に戻したのですが、それはりょーちんがいうように「きれいごと」ではないのでしょうか。
気象予報士を取り巻く困難、地元で働く困難、被災地が抱える困難を見事にカットして「役に立ちたい」と言い続けるのは、気象予報にかかわる人達、地元で働く人達をモネの成長の踏み台として利用しているように、私には見えるのです。これは、気仙沼編で登場したボランティアの女子大生も同じです。困難の中にいる人たちは、だれかの自己満足や自己表現のために存在するのではありません。

 

役に立ちたいのなら、介護や福祉という、慢性的な人手不足で困っている業界で働くのでもいいはずです。ではなぜ気象予報士という仕事をこの物語は選んだのか。あらすじありきで気象予報士という仕事を選んだとしか思えないくらい、この仕事に関する描写が少ないんですよね…。あらすじありき、つまり、モネが島を出て別の仕事をする→別の環境から地元を見ることで島への純粋な気持ちを思い出す→島に戻って大団円、という話の筋。それを描くのに、気象予報士という職業は都合がいい。

 

気象予報士を目指す女の子」という部分を作品のPRとして用いるなら、もっと気象予報士としての仕事とモネの関わりを作品内で表現してほしい。被災地を物語の舞台とするなら、社会としての被災地とモネのかかわりを作品内で表現してほしい。これでは、気象予報士という仕事も被災地という舞台も、モネがコンプレックスを克服するための装置でしかありません。

 

「役に立ちたい」んじゃない。「私のやりたい仕事をやりたい、その上でそれを役立たせたい」なんですよ、真実は。それを無自覚に「役に立ちたい」と言い続けるのは、見ていてモヤモヤします。

 

モネが「大切な人たちの役に立ちたい」というのは勝手ですが、たぶん、モネの「大切な人たち」はモネに「役に立ってほしい」とは思っていないはずです。モネが元気に過ごしていればそれでいいのです。
「役に立つ仕事」は確かに大事ですが、「役に立つ命」はありません。命に「役に立つ、立たない」はありませんから。ここがごっちゃに聞こえるのも、この物語のきついところ。

 

こういう、主人公を取り巻く社会の困難をカットしたのは意図的なものなのか。
例えば、朝から社会問題を描くのは重い、社会派ドラマじゃないんだから、というような理由なのか。被災地の社会問題として描くのは主語が大きくなりすぎるから、モネやモネの周囲の人の個人の物語という小さな主語になるようにわざと落とし込んだのか。

 

最終回まで数週間しかありませんが、私が上述したことなど天下の朝ドラは織り込み済みで、これからアンサーが描かれてゆくのかどうか。

 

物語の最初のころ、サヤカさんがモネに「役に立とうと思わなくていい」というようなことを言っていたので、今後モネの「役に立ちたい」という願望は別のところに着地するのかもしれません。

 

完結まであと少し。
モヤモヤするけど、少し我慢して、ラストまで見ていこうと思います。