まりかど雑多忘我録

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見たり読んだりしたことの感想を、自分の脳を整理するために書いてます。

仮面ライダーゼロワン 最終回を見終えての感想

令和最初の仮面ライダーとして放送された『仮面ライダーゼロワン』。
先日8/30に最終回を迎えました。

 

仮面ライダーゼロワン Blu-ray COLLECTION 1

仮面ライダーゼロワン Blu-ray COLLECTION 1

  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: Blu-ray
 

 

人間とAIとの関わりを軸にストーリーは展開し、後半は人の性とも言える悪意を盛り込んだ内容となりました。

 

コロナ禍で撮影が中断され、5、6月の6話分が総集編の放送となったため、ラストまでの3か月分がもったいないくらいのスピードで進んだのが残念なところです。1年の放送は長いとはいえ、カットせざるを得なかった6話分というのはものすごく貴重な時間なんだなと改めて思いました。中断後の展開がおもしろかっただけに、もっとじっくり描かれたものが見たかったなー。まあ、こんな状況なので仕方ないですね。

 

いつ撮影が中断されるかわからない中で、変わらないクオリティで作品を提供してくださったキャスト、スタッフの皆さんには感謝、感謝です。

 

さて、ゼロワンの最終回まで見終えての感想です。

 

AIは人間の言動を学習します。その中には「悪意」も含まれている。
主人公の或人でさえ例外ではなかった、というのがとても良かったなーと思います。
また、ラストが「悪は滅びた」ではないところも良かったですね。人の悪意は滅びないので。ただ、まだ原作連載中のアニメが原作の終了を待たずに終わる場合の「俺たちの戦いはまだまだ続く!」と印象が重なってしまうのがちょっと悲しい。

 

ゼロワンがテーマとして掲げている「人間とAI」はものすごく壮大で、ゼロワンはその中から「仕事」について特化して展開されている。それが、ラストの或人とイズのシーンでまとめられているのだと思う。
そう考えないと、或人が新しい秘書ヒューマギアにイズの名をつけ、ラーニングさせる行動にちょっと違和感を感じてしまう。実際のところ、このシーンを見てモヤモヤしました。

 

私は、公式の見解以上のものはないと思っているので、ちょっと考えたい。

 

天津社長(いや課長か)のさうざーは、ラストで何匹もいたけど違和感なくて、むしろ仲間が増えてる!って好意的な見方をしてた。ではなぜ、イズが何人もいると違和感があるのか。

 

人とロボットの違いは再生産できるかどうか。
イズを壊された或人が闇落ちするほど、或人にとってイズは大切な存在。だからこそ、外見が同じでも、イズの代わりにはどのヒューマギアにもなれない。そう思っていた。
でも、或人はそうじゃなかった。
今までの、マギア化して破壊されたヒューマギア(マモルとか)と同じように、破壊される前の名前をつけた。
或人にとって、ヒューマギアと人間は仕事を介したパートナーであるということを示しているんだと思うんです。
それを私が納得できたかどうかは別として。

 

今までゼロワンは、お仕事5番勝負のときが顕著だったけど、人間の悪意が見える形を描いてきたわけですよ。
人類の方が悪じゃん…と思えるような。
人間に酷いことされて、悪意をラーニングして。

 

そこで、視点が二つあって、
(1)ヒューマギアかわいそうじゃん! …主観てのと、
(2)悪意をラーニングしてしまったのなら、どうすればその悪意が消えるか考える …客観てのと。

 

最終回での、或人の滅に対する行動が(2)だったと思うんですよ。
ヒューマギアを、ヒューマギアの作り手として一段上の立場から見てる。

 

だから、ラストのNEWイズに対する行動も、作り手、開発者としての行動だったんじゃないかと。

 

ただ、ゼロワンを見てる側からすると、(1)の見方をしてしまうと思うんです。
なぜなら、人間と同じ姿をしていて、人間と同じ心を持つ存在になりうるから。
人間とヒューマギアは対等だと作中で叫んでいたから。

 

もし、「シンギュラリティ」という概念がなかったら(2)として見てられるかもしれないけど、心を持ったヒューマギアをそうは見られないよね。
だから、NEWイズをラーニングさせる様子を見て、「或人はNEWイズを前のイズの代わりと思ってるんじゃないか」、「NEWイズがいつかシンギュラリティに達して、自分が前のイズの代用品であると思ってしまったらかわいそうだ」と思ってしまう。

 

この部分は、もしかしたら人間とAIの距離を守るためにこういうラストにしたのかなーという、制作側のコントロールを感じたんですよね。

 

AIを取り扱う上で、生命との違いをどうするかというのは最大の問題だと思うんですよ。人間型のAIロボットは、それがいいことか悪いことかは別として、必ず将来登場する。人形やぬいぐるみでさえ命を感じるのに、手放すときにお祓いするケースもあるのに、人と似た顔をした人と同じ言葉を話す存在に対して、命を感じないわけがない。でも、AIは人間ではない。そっくりだけど、人間ではない。
命を感じる無機質なものをどう扱うか。

 

ゼロワンのラストは、「悪は滅びた」じゃないんですよ。
アズは暗躍しているし、AIMSはまだ存在する。
ヒューマギアは今後も暴走の可能性がある、そういう世界。
暴走したときに、命を感じるAIにどう対処してゆくか。
そういう世界で、「イズは唯一無二のイズ」のように人間と同じ対応をしてしまうと、ものすごい厳しいと思うんですよ。人を殺すのと同じになってしまう。
だからあえて、イズとNEWイズで「人間とは違う」を持ってきたのかなーと。

 

 

まあ…「代えのある道具でも、なくなったから新しいものを即手に入れるってのは違うんだよ」っていうメッセージを子どもに向けても良かったとは思うんだけど…。やっぱり、モヤモヤが生まれないために或人がなぜ新しい秘書ヒューマギアにイズと同じ外見を求めたのか、なぜイズの名前をつけたのか、それだけでも説明が欲しかったな。秘書型にはイズタイプとシエスタタイプのどちらかしかない…とかさ。

 

そう思うと、人間型のロボットなんて作っちゃいけないよ、と思うんだけど、
きっと作っちゃうんだろうな。倫理は人の好奇心を止められない。

 

ただ、ゼロワンのラストがここで終わるとは限らない。大人の事情的に言うと、映画が控えている以上、「イズ」というヒューマギアを不在にするわけにはいかない…という理由が先行してるのかもしれない。

 

ゼロワンの脚本を担当した高橋悠也さんはエグゼイドの脚本も担当されていて、Vシネ、小説版を執筆されているので、もしゼロワンも同じようにVシネ、小説…と続くなら、このままではないようにも思います。エグゼイドのラストであたかも許されたような檀黎斗が、それ以降本領を発揮しますからね。ゼロワンラストでの、NEWイズを「イズ」と名付けて以前のイズと同じようなラーニングを行う或人の選択も、今後ストーリーのキーとして変わってゆくのかもしれません。

 

取り急ぎ、ゼロワンの最終話感想でした。