まりかど雑多忘我録

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見たり読んだりしたことの感想を、自分の脳を整理するために書いてます。

夏の庭 感想

『夏の庭』


夏の終わりの今、読むにふさわしい本ですね。
以下、ネタバレを含んだ感想です。

 

 

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

 

 

これは、小学校六年生の三人の少年たちが、一人暮らしの老人の「死ぬ姿を見よう」と観察を始めるところから始まる、ひと夏の物語です。

 

10歳を過ぎると、世界は軋み始めます。
いや、軋んでいることに気づきだすのです。

 

三人の少年たちも、来年の中学入学を控えて、自分の家族や友だちを取り巻く音が軋んでいることに多少のいらだちを感じています。

 

両親が不仲な木山。
母が父の仕事を見下している山下。
離婚した父が別の家庭を持っている河辺。

 

山下が縁遠い祖母のお葬式に出席したことで『死』に興味を持ち始めた彼らは、近所のごみ屋敷に住む老人に目をつけます。
老人が死ぬ場面に遭遇したい。そう思って老人の観察を始めますが、その行為は老人の知るところとなり、お互い牽制しあっていた関係がいつしか、年齢を超えた友達になってゆきます。

 

ゴミだらけで雑草だらけの廃屋に住む老人の生活は、少年たちが「死にそうだ」と判断するくらい、すさんでいました。始めは少年たちのことを、家の前をちょろちょろして何かいたずらをたくらんでる悪ガキ、程度に思っていたでしょう。
少年たちも、老人の挑発に乗るような形で関わり始めましたが、やがて、老人の家はみちがえるように整理整頓され、少年たちにとって、家庭や学校以外の、第三の居場所になってゆきます。

 

少年たちが老人にした行いは、たいしたことではありません。
少年たちは社会的にも無力で、知識もありません。
老人の日々の生活の手伝いをすること。
掃除したり、ごみ出しをしたり、家の修理をしたり、庭の雑草を抜いたり。

 

庭を花畑にしようと、コスモスのタネを大量に買ってきたり。
老人の過去を聞いて、老人の妻を探そうとしたり。
老人の妻が認知症で、老人に会わせることができなさそうだとわかると、似た人を連れてきて妻だと偽らせたり。

 

子どもの考えることなので、計画はおおざっぱで穴だらけです。

でも、老人の周りの大人たちが決してやろうとしなかったことを、子どもたちは今できる限りの知恵をしぼって行動し、老人と向き合いました。
それがどれだけ、老人にとって嬉しいことだったか。

 

忘れられたように生きる老人に、彼らは生の輝きを思い出させました。
彼らが、老人とは何の縁もゆかりもないからこそ、老人の心にふっと入ってゆくことができたのだと思います。人は第三者に救われることがあるのです。

 

彼らにとって『死』は一番遠くにある現実で、冷たいものでした。
体温のない、見知らぬ死。

彼らが見たがっていた死は、でも、そんな死ではありませんでした。
よく見知った姿の、温かい体温が存在する死でした。

 

命の尽きた老人の前にあるのは、彼らのために準備したぶどうでした。
人がやってくるのを待つ、楽しい気持ちを抱いたまま、旅立った老人。
一人でしたが、一人ではありませんでした。
そして、老人は、自分の死後、つまり「未来」を得ていました。
自分が捨てた妻に財産をゆずるという「未来」を。

少年たちは、もう老人の家に集まることはありません。
季節はとどまることなく、少年たちを否応なしに大人にしてゆくでしょう。


でも、心の底にある小さな思い出は、きっと彼らの「基」となって、軋んだ世界から彼らをずっと守ってゆくのだと思います。